嫌な話

この記事は「Twitter Advent Calendar」25日目の記事です。

昨日の記事は Masayoshi Wada さんの「Twitterと認可」でした。

今日が最終日です。

フェイク盛り盛りで嫌な話をします。

 

ある人(仮にAとしよう)が僕のことを異常に嫌っているらしく、会う人や(オンラインで)親しい人に対して僕のことをブロックするように話しているらしい。

実際にそう言う話をされたとして僕をブロックしたという人(B)から話を聞いた人(C)からとあるルートで話を聞いた。

全員会ったことや声を聞いたことはない。

BやC曰く、Aは年下が基本的に嫌いで、特に積極的に意見を言うような若い奴が嫌い。特に何も言わない人や穏便な人は好かれるけど、僕みたいなのは目の敵にされるらしいという。

Aは非常に発言力の高い人間で、誰も逆らうことは出来ないらしい。

Kloutスコアは国内でも上位30%くらいには入るのではないだろうか。特に計算したわけではないから適当な数字だけれど。

つまり年下風情がクソを垂れることが心底気に入らない、というだけで自分の高い発言力を振りかざし、僕をインターネットから粛正したがっているということだ。

すごく傷つくし、腹が立つ。

僕自身、断続六年半近くのTwitterライフの中で、省みるべきところが無いとは言わないし、色々な人に迷惑もかけてきた。反省はしてきたつもりだし、数々の嫌なことも経験してきた。

だからAにこのような行動を起こさせるに至った何かしらの原因が、僕にも無かったとは言わない。僕はAと積極的に交流していたとは言えない人間なので、それが何かは具体的に分からないけれど。

僕が嫌いならブロックをして貰って一向に構わない。僕をブロックするに至った嫌な理由がそれなりにあったと解釈して、僕はよく考えて反省して、翌日以降のアクティビティに繋げていく。
今までもそうしてきたつもりだし、これからもそうしていくつもりだ。

だが、僕のことが嫌いだからと言う理由で、力を振りかざして、たかだかフォロワー400アカウントの僕を消し去るために東奔西走するというのは違う。

Aにはブロックするような理由があっても、もしかしたらその話をされた人には無いかも知れない。
実際そうやって今年だけでも10人近くにブロックされているから、理由が無い、とは言わないけれど、能動的にそうした行動をするように仕向けるのは間違っている、と思う。

僕のことをどうするかは、個人の考え方だけで決めて欲しいし、たとえそれがどのような結果を招いたとしても、僕は構わない。だが、人流されて何かを決めるようなことだけは、どうかやめて欲しい。

 

以上で2014年の「Twitter Advent Calendar」を締めくくらせて頂きます。

親しいフォロワーや友人が何人か喪中なので言いにくいですが、皆様良いお年をお迎えください。